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霊感をまったく感じない。どうして?

  • 3月4日
  • 読了時間: 7分

スピリチュアルなことへの興味が強いのに、霊視も霊聴も、その他の霊感もまったく感じたことがない、という人もいそうです。もどかしさや寂しさを感じるでしょうか。

なぜ何も感じないのでしょうか?



まず、霊感はロイヤルブルーのオーラの向上に呼応する。

現代は、あまりにも霊感を持つ人の数が増えすぎていて忘れてしまっているのかもしれませんが、そもそも、霊感というのは誰でも体験するものではありません。

昔は霊感など何も感じない人が大多数でした。「霊なんているわけないじゃないか!」と言う人々の多くは、霊視も霊聴も体験したことがないのですね。物質主義な企業社長やスポーツ選手などは、霊感を体験したことのない人が多いです。


霊的なまたは宗教的なことに興味を持ち、座禅瞑想やヨガなど取り組んだり、「人生の本質は物質的な成功ではない気がする」と気付いたりすることで、ロイヤルブルーのオーラが伸びます。

ロイヤルブルーのオーラが40点くらいになると、霊視を体験しはじめます。一般的には、精神的な気付きだけでなく座禅瞑想的なプロセスが必要です。


「スピリチュアルに興味がある」と思っていても、それが非常に表面的で、「厄年だから有名な神社で厄払いしてもらいたい」「風水で開運したい」というくらいなら、ロイヤルブルーは40点にも満たないかもしれませんね。

「神秘でお金儲けしたい」と言っている人も、結局は物質主義なので40点にも満たないことがあります。



なぜ霊視も霊聴も体験しない?幾つかのケースがある

特に、以前提供していたオーラ診断でロイヤルブルーの点数が50点、60点も貰えていたのに霊視も霊聴も体験しないと、ヤキモキするでしょう。

それなりのロイヤルブルーがあるはずなのに霊感を体験しないのはなぜか?

幾つかのケースがあります。


霊視も霊聴も超越してしまっている

ロイヤルブルーの点数が60点以上なら、これがあり得ます。

あなたは霊感を持っていますが、霊視や霊聴の段階を「超越」してしまっているのです。だから霊視も霊聴も起こりません。

霊視や霊聴を駆使して霊能鑑定でもやりたいと憧れているかもしれませんが、そういうことをやるべき段階ではない(超えている)のです。商業的な霊能者は、実は霊的探求者としてはまだ初級者で、あなたの精神はそれを超えています。

霊視や霊聴に中毒すべきではないので、座禅瞑想を頑張っても霊視も霊聴も出ない、というリミットがかかっています。


しかし、人生の中で何度かは、霊視や霊聴を体験したことがあるのではないでしょうか?そして「そういうものがある」と確信はしていそうです。子供の頃過ぎて体験したことを忘れていることもありそうです。その体験が霊視や霊聴だとわかっていないケースもあります。


宿命的に派手なサイキックを体験しにくい人

宿命的に、派手なサイキックを体験しにくい人がいます。これは「オールドソウル」や「ソフィア」などのピュア・インディゴに多いです。

概念としては上記の「60点を超えてしまったから」に似ていますが、ロイヤルブルーが中途半端でも、宿命的に霊視や霊聴を体験できないことがあります。

たとえば、神社やお寺の家庭に生まれて親族の多くが霊的体験をしていれば、その話を聞くだけで霊の存在は確信するでしょう。「でも僕は視たことがない」というバランスで育つことがあります。

すると、あまりスピリチュアルに傾倒はせず、事業者やサラリーマンなど目指して生きようとするはずです。そういうバランスを求められているケースが多いです。


神社で頭が痛くなったりする?それも霊感

霊感だと気付かないまま、霊感を体験している人もいます。

「私は霊感なんて全然ない」と思っていても、特定の神社に入ったときに頭が痛くなったり、アースデイみたいな会場に行くと頭が痛くなったり、するでしょうか?その頭痛も霊感によるもので、「ここはあまり良い場ではない」「ここはあなたには適していない」ということをガイド霊に示されています。

これも、霊視や霊聴、霊能者に盲目すべきでない人に多いです。

「霊感があるのは理解している。でも私が霊能者になろうとは思わない」という感じのバランスで生きるべき人です。

または、霊能者に過剰に盲目しなくなったら霊視や霊聴がよく発現するようになることもあります。


「直感サイキック」として拾っている人も

霊視も霊聴もないが、「直感サイキック」という形でガイド霊(守護霊)からの啓示を拾っている人もいます。たとえば、ふと、「うん?あの人に連絡を取るべきなような?」と思ったりします。

直感サイキックは、それが霊感によるものなのか、自分の「フィーリング」なのか自分の「考え」なのか、よくわからないことも多いです。基本的には、よくわからないままでよいです。直感サイキックだと気付いていなくてよいものです。


しかし、中には「あ、この感じは直感サイキックだ」と敏感に感じ取る人もいます。

これはガイド霊が敢えて、そういう直感サイキックを示しています。

大天使クラスの魂に多く、失敗が許されないというか、やるべきことをしっかり果たしてほしいと大きく期待されている人に多いです。


芸術を創る際に拾っている人も

絵描きに多いです。絵を描く際に、なんとなく「こういうものを描くべきだな」と直感サイキックを感じて描いています。ガイド霊から描くべきものの内容を示されているのですが、霊感だとか啓示だとかいう自覚はないことが多いです。

ちなみに、白い紙に露骨に描くべき絵が視えてしまう人もいます。霊視が働いていますが、それがサイキックだとわかっていないこともあるようです。

宮崎駿さんも、映画のイメージボードや絵コンテを描く際に、「何か視えている」ということを発言をしていますね。

無欲な芸術家に多く、啓蒙的な芸術をやりたい意欲の人に多いです。

または社会貢献的な人と組むときに、起こることがあります。


妙な体験を1度だけ?

妙な霊視っぽいことを1度だけ、妙な霊聴っぽいことを1度だけは体験したことがあるが・・・。という人もいるでしょう。

これはスピリチュアルをロジカルに語るべき使命の人に多いです。サニワを期待されている人に多いです。

「霊視霊能者はこういうふうに体験している」といったことを体感的に理解するために、1度や数度だけそれを体験させられたりします。

ロイヤルブルーが80点あろうとも、霊視を視ることもあります。



実は点数は関係ない 笑

真上に書いたように、ロイヤルブルーが80点を超えていても、霊視を視ることはあり、それは可能ではあったります。

結局のところ、霊視や霊聴、その他の霊感を体験するかどうかは、ガイド霊が決めています。ガイド霊が「今は出さない!」と決めたらどれだけ気張ろうとも霊聴は発現しません。

ですから、クリスタルチルドレンのピンクちゃんなんかは、ロイヤルブルーの感性などまるでなくても、死んだお祖父ちゃんの霊を視たり、ぬいぐるみが話しかけてきたりすることがあります。



霊視や霊聴に盲目するのは良くない!でも体験して確信するのは良いこと

霊視や霊聴に盲目するのは、良いことではありません。霊視霊能者や霊聴霊能者をカリスマ視するのも、良いことではありません。これは覚えておきましょう。

しかし、霊視や霊聴を体験し、「あぁ霊的な世界って本当にあるんだな」と確信するのは良いことです。体験しないと確信しづらいですね。


たとえば、小学6年生くらいの頃に、少女マンガ雑誌の付録の「おまじない特集」みたいなものに憧れて色々やってみる、というのはアリで、その際に1つ2つは神秘体験をするでしょう。こっくりさんなんかも、動いてビックリした体験を持つ人は多いはずです。

しかし、大人になってもなおおまじないを盲目して漁ったりしているのは、過剰神秘主義といえ、あまり良い感性ではありません・・・。



「人の役に立ち立ち」と考える人のほうがサイキックを体験しやすいです。

また、霊感の強い人のそばにいるとサイキックを体験しやすいです。

「無難な日々を送りたい」という保守的な考えだとサイキックは起こりにくいです。示すべき啓示が何もないからです 笑

 
 

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