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「清め」には何か効果があるのか?

スピリチュアリスト、特に聖書や古事記、神話など好きな人は、「清め」という言葉に畏怖のような念があるのではないでしょうか?

たとえば、「高千穂の川の水で身を清めたい」などといった憧れがあるのではないでしょうか?

 

 

清めとは、単に体を洗うこと

「清め」とは、実は特別なものではありません。

各種の聖典に書かれている清めは、単に、体を洗う意味です。

古事記などに記されている太古の昔は、あまり清潔な暮らしをしていませんでした。石鹸などありませんし、お風呂もありません。誰もが少々汚いままで暮らしていました。

神殿などは、時代に反して清潔に保たれているものが多かったため、「汚い体で入らないで」というルールがあったのです。そのため、「清め」という言葉で体を洗わせました。

 

 

あまりに汚いと低級霊に憑りつかれる

聖域を汚されたくない、という理由のほかに、もう1つあります。

それは、あまりに汚い体でチャネリングやハンドヒーリングなど行うと、低級霊に憑りつかれることがあるからです。それを防ぐために体を洗わせる、という意味合いもあります。

よほど浮浪者じみた人でないかぎり問題はないのですが、念のため一様に体を清めさせた、という感じです。

 

 

高千穂の湧き水にも神社の手水舎にも、特別なチカラはない

古事記や聖典で書かれる、聖地めいた場所の湧き水、川、滝つぼなどの水に、別に特別なチカラはありません。後世の人びとは、聖典の中で「高千穂の湧き水で体を清めた」などといった記述から、その水が特別なものだと勘違いしたのです。それが語り継がれてきたのです。

 

また、神社やお寺などの入り口にある手水舎の水にも、特別なチカラはありません。田舎の場合、塩素洗浄された水道水ではなく井戸水が使われていることがあり、ある意味ではそこらのお水よりもキレイですしミネラル分などがあります。

しかし同じような水質の水は近所のおばあさん家の井戸からも出ています。

 

スピリチュアリストたちは、有名な神社の手水舎には特別な清めのチカラがあると勘違いしているのです。

 

 

清めは、どこぞの神社よりも家庭のほうが出来る

不運なことが続いたスピリチュアル好きな人が、高千穂など赴いて「清め」をしたがります。どこかの滝つぼで滝行をして身を清めたがります。

しかし、清めたいなら家庭のほうがよくできます。

清めとは要は体を洗うことです。皮脂を落とすことです。

すると、お家の風呂場でボディーソープを使って体を洗うほうが、高千穂の湧き水に浸かるよりもずっとキレイになります。

つまり、昨夜も行ったことです。

 

 

現代人はほとんどの国において、毎日体を洗う習慣があります。

このような人々にとって、「清め」という行為はおよそ必要ないのです。

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