一度ウツに陥ると、ずっと絶望しながら生きなければならないのでは、という印象があります。
しかし、そんなことはありません。
ウツは克服することが出来ます。
情熱と愛を持つのがよい
ウツに陥る要因は幾つかありますが、社会の幼稚さに絶望して生きることが虚しくなる、という人が、真面目な人には多いです。
そうなったとき、ある意味では「社会のために生きよう」という真面目さはもう手放すとよいです。
そして、狭い世界で生きるとよいです。
自分が興味の持てる趣味や人のことばかりを考えて生きます。それだけに本気を出して生きます。仕事をしないわけにはいかないでしょうが、仕事はやっつけでもよいです。「上司がテキトーなんだから私もテキトーだ」で良いです。
絵が趣味なら絵を描くことに没頭し、目標を作ってがんばり、好きな人がいるならその人と楽しく過ごすことだけを思い描きながら生きるとよいです。
旅に情熱を捧げて、日本社会をほとんど無視して生きる、というのもよいでしょう。
社会性と体力は、どのみち必要なもの
ウツに陥ったとき、人と関わるのが億劫になったり、人に気を遣うことが疲れたりします。それをウツのせいにしがちなのですが、ウツでないとしても社会性というのは必要なことです。ウツでないとしても、背筋を伸ばして微笑むことは必要なのです。
しかしそれも、みんなので前で優等生を演じる必要はありません。あなたが好きな人の前で、りりしくすればよいです。それを動機に鍛え、それを動機に保てばよいです。
体力にも同じことが言えます。ウツになると立ち歩いたり汗をかくことが嫌になります。しかしそれはウツだからではなく、誰でも直面することです。
社会のために体力を作る必要はないので、あなたの好きなもの、好きな人との交流のために、体力づくりをするとよいです。
会いに行くには体力が要ります。セックスの充実には体力が要ります。スリムな体を保つには長時間立ち歩く生活習慣が要ります。
優秀な成績や仕事は放棄してしまってもいい
勉強や仕事につまづいて、人生に絶望に感じたなら、勉強も仕事も放棄してしまえばよいです。
人生なんて、別に偏差値が低くても楽しく生きられますし、仕事も得られます。むしろ高学歴のレールにいないほうが楽しく生きられます。質のよい友人を作れます。
仕事が大変なら、報われなくて辛いなら、辞めてしまえばよいです。
そしてまったく違う仕事に変えましょう。
勉強も仕事も、別に優等生である必要はないのです。
「優等生であり続けなさい!」と圧を掛けてくる人からは離れましょう。
ウツなエンタメに浸からないで!
ウツに陥ったとき、ウツな雰囲気を持つポップスやアニメに共鳴してしまいがちです。「共感者がいて嬉しい」と思うかもしれませんが、浸かることでますます滅入ってしまいます。
明るいだけのアニメやポップスがくだらない!と感じるかもしれませんが、ウツなエンタメが正しいわけではないのです。
「社会に対する絶望を知っていながらも、それでも前向きに生きようとする」「社会の幼稚さを知っていながら、それでも微笑もうする」そんな作者のポップスやアニメが,世の中には少しはあるはずです。
そういうものを楽しむとよいです。
それこそが、羽化
ウツに陥って少々のドロップアウトに陥ったとき、「私の人生はもう終わりだな」と思うかもしれません。
しかし、まったくそんなことはないのです。
真に13次元的な、大天使的な強さをまといたいなら、「ウツに陥って立ち直る」ということはむしろ必要不可欠ですらあります。人に絶望し、人を嫌になることが、必要不可欠ですらあります。
そこから立ち上がってまた誰かを愛し、誰かの役に立ちたい、と生きられるようになることが、人にとっての羽化なのです。
そしてようやく、自分らしい人生が始まります。社会の顔色を伺う人生ではなく、自分らしさを楽しめる人生が始まります。