エデンの園とは何だったのか?
- acousticlife111
- 4月10日
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旧約聖書に出てくる原初的な暮らしの地の名前ですね。そして理想郷、楽園、ユートピアの比喩として「エデンの園」という言葉が用いられます。
エデンの園とは何だったのでしょうか?
闇に落ちる前の人類の暮らし。しかし何も考えていない
エデンの園というのは6000年前くらいに地球に実在しました。6000年周期くらいで、地球に何度も類似する暮らしが存在してきました。
日本で言うと、弥生時代の暮らしが近いです。
人々は畑を耕す程度の労働を日に4時間くらいこなし、あとは自由に遊んでいました。花を摘んだり、花を頭に飾ったり、手遊びをしたり、セックスをしたりして楽しく暮らしていました。
要するに、大衆が、「コメとサンマがあれば充分だよ。家は掘っ立て小屋で充分だよ」という感性をしていれば、人間の労働なんてそんな些細な量で充分なのです(笑)
「あれが欲しい!これが欲しい!虫が入ってくるのは嫌だ!」とわがままを言い始めたので、それを満たすために様々な労働が増えていきました。そして8時間働いてもまだ社会が回らない、そんなおぞましい現代日本になってしまったわけです。家を得るのに5000万円もかかる社会になってしまったのです。
エデンの暮らしはとても平和で幸せでしたが、民はほとんど何も考えていませんでした。村長の言うとおりに4時間は野良仕事をし、あとは遊んでいました。
良くも悪くも、何も考えていないからそんなシンプルな暮らしが成立しました。
やがて、「あれが欲しい!雨漏りは嫌だ!」と言い出す者が現れて、民は「不満」という概念を覚え、それを押し付け合ったり満たそうとしました。そうして社会は複雑になり、争いも増えていきました・・・。
セックスばかりしていて、幸せだった
「エデンの園」や「アダムとイヴ」というと、素っ裸の男女が描かれるのがもっぱらです。
要するにエデンの人たちは、セックスばかりして幸せに暮らしていました。人間にはその自由があったのです。
エデンの園が崩壊したのは、イヴという女性がアダムという男性(のセックス)を独占したがったからです。魅力的な異性を誰かが独占すると、暴動が起きます。
だから平和のためにはペールコーラルの「博愛的セックス」の観念が必須です。
弥生時代の質素で良いなら、またその暮らしに戻れる
楽園思想、ユートピア思想、仙人思想といったものは、実はその本質はとてもシンプルです。
要するに、民のみんなが「弥生時代みたいなコメとサンマとお花と小屋の質素な暮らしでいいよ」と言うなら、私たちの労働なんて驚くほど少なく済むのです(笑)
しかし現代人は、その質素が出来ません。
また、「独占欲」の恋愛観から抜け出せませんね。
ニューエイジは近い発想に至った
1970年頃に欧米に栄えたニューエイジャーというスピリチュアリストたちは、そんな弥生時代的な発想に近づいたのです。
彼らは「お金なんて要らないよ!」と言い、彼女らは「花があればいいわ」と言いました。
そして掘っ立て小屋みたいなものを建ててシンプルな暮らしをしようとしました。
しかし、大麻に溺れてしまったのと、4時間の労働すらしようとしなかったために、その暮らしは破綻しました。ヒッピーと言われるやつです。
ユートピアを取り戻すなら、アセンション的な感性が要る
結局、意図的にエデンのようなシンプルな暮らしを取り戻し、安全に継続させていくには、民の皆が「快楽に中毒したらだめだ」「協力し合わないとだめだ」「悪いことしちゃだめだ」といった倫理観を持っていないと、叶わないのです。
1人の村長がそういう視点を持っていようとも、「ズルしたい」と考える民が3人も現れるならもう、彼らが暴動を起こすことで平和は壊れます。
「リンゴを食べれば稲刈りなんて要らないぞ!」とそそのかす人がいるなら、民の心は汚れていき、やはり平穏は壊れます。
芸術は意外と重要
ブルーの芸術的感性は意外と重要です。みんな美しいものが欲しいからです。自分で創ろうとする気概がないと、強奪が生じます。そして誰にも美意識がないと殺伐とした暗い社会になってしまいます。
何をすべきか、何をしてはいけないかを一通り理解し、それを守る自制心があるなら、エデンのように暮らせるのです。日に4時間程度は労働をして、あとは美容遊びや芸術やセックスに明け暮れていられるのです。