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伝統行事も、伝統料理も、大した意味はない

お正月のために親族が総出で集まったり、そのためにおせち料理の下ごしらえに奔走させられて、冬休みのたびに滅入っている人がいるでしょうか。



霊的な面から言えば、伝統料理は廃れてしまってかまわない。

霊的な面から言うのであれば、お正月のおせち料理や伝統料理など、力を入れる必要はありません。

黒豆にも栗きんとんにも福を呼ぶ効果はなく、何の意味もないので、別に作らなくても食べなくてもよいのです。

食べたってよいのですが、そのために辛いと感じるほど労力を注いだり、1万円もするお重を買ったりするのは、ナンセンスというものです。



初もうでも門松も、伝統行事は必要ない。

初もうでに行く、門松を飾る、鏡餅を飾る、除夜の鐘を聞きに行く、といった正月の伝統行事も、霊的真理の面から言えばまったく必要ありません。



風情がある、というだけ。

伝統料理や伝統行事の数々は、「日本らしい風情がある」とは言えます。

それは、国の個性を演出することには一役買っています。それだけなのです。


昔の人は、お正月の時期は仕事も農業も休んでのんびりしていました。

だから労力をかけておせち料理を作ったり、飾りを作ったりする暇がありました。

余力のある人にとって、風情を演出する遊びを行うのは悪くないでしょう。

しかし、時間やお金に余裕のない人がこれらに大きなエネルギーを割くことは、不毛と言えます。

ひどく消耗してまでおせちづくりに奔走する必要は、ないのです。



親や周りの人が伝統行事にうるさいなら、ある程度それを演出する必要はあるでしょう。

でも、一人暮らしをしているなど特に口を出してくる人がいないなら、まったく正月っぽい匂いのしない正月を過ごしたってよいのです。

そしてそういう人が増えれば増えるほど、社会全体が伝統行事にお金や労力を注がなくなっていくでしょう。

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