社会が堕落してしまうのは、政治家など指導者のせいなのでしょうか?それとも大衆のせいなのでしょうか?
どちらも
大衆は指導者のせいにし、指導者は大衆のせいにしがちですが、この答えは「どちらも」です。
もっと言えば、「大衆のせい」という面が強いです。
大衆はそのうねりによって歪んだ指導者を追放したりできますし、指導者はあくまで、大衆の一人から選ばれているにすぎません。
ですから、「大衆全体の道徳を啓蒙していく」ということが、社会是正のためには最も重要なことなのです。
一人の誠実な政治家が現れても、社会は変わりません(そもそも彼は当選しません)。
民主主義が選択したのは「アイドル」だった
日本社会の精神性は、「推し活」という文化に露骨に表れています。
どのような企業が生き残り、発展するか?それは大衆がお金を払ってそのモノ・サービスを多く購入することで決まります。
私たちの何気ない生活は、すなわち社会を牽引する者に対する投票の連続です。
誰に投票するかで人の精神性は露呈しますが、その抜き打ちテストが日々行われているようなものです。
そして日本人大衆は、アイドルめいた人やその関連物に、ものすごくお金やエネルギーを注いだのです。エネルギーというのは労力のことです。
若者たちはボランティアをしません。が、アイドルのウチワを創ることにものすごく労力を注ぎます。
それによって誰が生き残り、誰が淘汰されていくか?
真面目で職人的な人は貧乏になり、生活すらままならなくなっています。そしてアイドルめいた「ルックスばかり良くモラルのない人」がお金持ちになり、彼らが影響力を握ります。
大衆は、そういう人物を目標に掲げ、自分もアイドルめいたものを目指します・・・
推し活文化を眺めれば、「まだ消費税は上げられる」と判断されてしまう
政治家は、新しい税制を作ったり消費税を引き上げたりします。大衆はその政策を見て、恨み、罵倒します。
しかし政治家が何を考えるかと言えば、日本人大衆が推し活にこれだけ膨大なお金を注いでいるのを見れば、「まだ余剰なお金がたくさん。それを吸い取ってインフラに回そう」という発想にもなります。
まぁ日本の政治家は理屈度外視で大衆からお金を巻き上げているようなところがありますが、まともな政治家が上に立っていたとしても、そのように考えるでしょう。
たとえば、ですが、推し活好きな人々が、アイドルやアニメではなく、こども食堂をする人や、農業、交通など生活インフラを担う人々にお金を回していたら・・・?日本の社会はもっと健全な雰囲気を保っていたでしょう。
アイドルやアニメがダメなわけではない
アイドルやアニメが、ダメというわけではありません。
そのアイドルやアニメが、何をしようとしているか、が大切です。
『となりのトトロ』がインディゴ世代の自然好きに多大な影響を及ぼしたことは、誰でもわかるでしょう。
そういうエンタメにお金やエネルギーが動くならよいのです。
もしお絵かきっ子たちが、緑の木々をバックにオカリナを吹くトトロの絵ばかり描いてTwitterを埋め尽くしているなら、そのお絵かき趣味は次世代の子供たちの「自然好き」という感性に影響を及ぼします。
アイドル、アニメ、エンタメは、一定数必要なものです。それを担う人々が必ずしも悪というわけでもありません。
日本人大衆は、少ないお給料でも懸命に社会に貢献する大衆食堂のおばちゃんにはお金を注がず、高い金額の快楽を提供するディズニーランドにお金を注ぐのです。
昔の日本人大衆には、「大衆食堂のおばちゃんに恩返しをする」というような人情やモラルがありました。今はそういう観念がなく、ただ快楽を提供する人や企業に惜しみなく大金を注ぐのです。
もちろん、個人差のあることです。そうでない人もいます。
しかし社会全体を見れば、そういう風潮で日本は周り、明日の日本が形成されているのです。
社会は、こうして形成されています。
社会とは、大衆の行動の反映にすぎないということです。