ギリシャ神話、ローマ神話、日本神話などに強烈な興味を抱く人がいます。
寺社ではそれらが祀られていることすらあります。
神話は本当にあったのでしょうか?
古代のラノベにすぎない
神話を端的に言えば、「大昔のラノベ」です。「アニメ」「むかし話」「童話」とたとえるのもよいかもしれません。
神話の内容を本気で究明して、そこから歴史や真理をくみ取ろうとする人々がいますが、それはちょっとやりすぎ、という感じです。
神話を深く研究する人々は、『ワンピース』のマンガの伏線や作者の真意だのをマニアックに研究する人々と同じようなものです。そこから得られる哲学もありますが、誤った道徳を身につけてしまう面も多そうです・・・
なぜ聖典として受け継がれたのか?
なぜラノベにすぎない各国の創り話が、聖典として後の世まで、こんなに科学の発展した21世紀まで受け継がれてきたのでしょうか?
それは、神話を1つのトリガーとして色々活用したいガイド霊たちの思惑によって、各時代の影響力のある人に普及活動させたからです。
また、単純に読み物として面白かったからです。「ヘビのような髪の怪物が現れて、それを王子が倒しに行く」というようなRPGっぽい物語が東西の人びとを興奮させ、それはすそ野を広げていったのです。
伝統は何でも同じですが、ある一定の歳月を経ると、「これは重厚なものだから国をあげて保護しなければならない!」といったふうに崇高に扱われるようになります。
金星はヴィーナス?でたらめ
神話が語るユニークなものとして、「金星は愛と美の女神」だとか「あの星の並びは乙女座だ」といったものがあります。
これらは完全に、当時のクリエイターの考えた創作です。実際には金星には美も愛も関連していませんし、星の並びに乙女も獅子もないのです。
星占いでは、「今年の8月は金星が良い角度を創るので恋愛運がアップします」などと語られますが、でたらめなのです。
実在した人物もいる
神話に登場する人物の中には、実在した者もいます。だからこそ神話が信ぴょう性を帯びて支持され続けるのでしょう。
しかし、ある人物がモチーフとなったというだけであって、その人物のありのままが描かれたわけでもありません。ゼウスという人間が雷を自在に操ったわけではないのです。
現代のラノベ作家たちは、織田信長の目から光線が出るようなキャラ作りをするでしょうが、それと同じようなものなのです。まさしくラノベ的想像力です。
ある町やある地域の生活がリアルに描かれていたりもしますが、だからといってすべての内容が実話というわけではありません。
大河ドラマでたとえれば、それは史実に基づいた物語で、私たちはそれを観ることで戦国時代の人びとの暮らしが少しは勉強できます。しかし登場人物の言動のすべてが事実だったわけではありません。
日本人が「むかし話」で教育をしたがるのと同じ
各国の神話の存在は、日本人が「むかし話」でもって子供たちに善悪や一般教養など教育したがるのと同じです。サルとカニが決闘する、などと嘘であっても面白ければよいのです。そこに教訓があれば子供たちは吸収していきます。
神話の要点は?
多くの神話が共通して内包する啓蒙メッセージがあります。
主人公が冒険に出て悪者を退治する
魔法が存在し、不思議なことが起こる
人はあちこちで恋をする
非常に長い物語である
これらは、魂ミガキや啓蒙において重要な意味があるのです。
主人公が冒険に出て悪者を退治する
住み慣れた町を離れて冒険する勇気や、その発想を伝えたいのです。物語がこういう発想を示さないと、多くの民は生まれた村から外に出ないようです。悪者が現れても、退治しようという発想にならないようです。
魔法が存在し、不思議なことが起こる
「女神の流した涙に命が宿り○○が生まれた」などと魔法じみたいきさつが頻繁に描かれますが、「魔法じみたものがこの世に存在する」ということを語り継ぎたい意図があります。
こうした影響により、後に科学が発展しても、非科学的なことに心を開く人々が一定数存在し続けます。
人はあちこちで恋をする
芸術の中で「人はあちこちで恋をするものだ」と描きます。
物語りの好きな人々は、一夫一婦の恋愛観には無理があることを理解します。
非常に長い物語である
面白い物語が長作であると、人々は自然と、文章の読解力を身に付けていきます。それはエンタメを楽しむためだけでなく、勉強や社会生活にも役に立ちます。