霊視がどのようなものかは多くの人が認知しているでしょう。
しかし、霊視に対して過大に盲目していませんか?
霊視とは?努力によって誰でも獲得しうる能力にすぎない
「霊視とは選ばれた人だけが使える特別な能力」と思っていませんか?そして、霊視の出来る霊能者がカリスマ扱いされていたりします。
しかしその認識は誤りです。
霊視とは、努力によって誰でも獲得しうる能力に過ぎません。スポーツの技術と同じようなものです。
霊視は、座禅瞑想を繰り返すなどして第6チャクラを活性していくと、やがて発現します。1970年頃、ニューエイジと呼ばれた欧米人たちに、インドに瞑想修行に行って獲得した人が多いです。
サイキック能力の初歩にすぎない
霊視は、座禅瞑想を繰り返す修行によって得られる、初歩的なサイキック能力にすぎません。
霊視が発現してもまだ座禅瞑想を繰り返していると、やがては霊聴が発現します。
そして霊聴が発現してもまだ座禅瞑想の習慣を続けていると、やがては霊聴も陰を潜めます。そして、まぶたの裏に青白い光がモヤモヤと揺れるような霊視を視るようになります。いえ、座禅瞑想を続けるだけでなく精神的にかなり達観している必要もあります。
青白い光を視る霊視を「霊光」と呼んだりします。
第6チャクラの発達段階として、
40点くらい→霊視
50点くらい→霊聴
60点くらい→霊光
という感じです。
霊視によって霊能者商売に励んでいる人々は、第6チャクラの活性としても精神性としても、霊的な知識・理解としても、まだ初歩的な人なのです。
霊視が発現すると嬉しくなり、興奮するでしょうが、そこでうぬぼれていてはダメなのです。
生まれつき霊視を持つ人も
座禅瞑想などしていなくても、生まれつき霊視の扱える人もいます。
クリスタルチルドレンに多いです。霊視が出来ることを自覚していないことも多いです。
またぶの裏に写真や映画めいたものを視ることがありますか?それは霊視です。
授業中に上の空になってしまう、という人も、霊視でファンタジーを視ていたりします。
絵描きさんの中には、「白い画用紙に絵が見える」などと言う人がいるでしょう。それも霊視です。
また、日本の年配の霊能者にも、生まれつき霊視を持っていて商売をしている人が多いです。青森のイタコ、沖縄のユタなどにそうした人は多いです。
これは、過去世で座禅瞑想などの修行をして霊視を獲得したのです。
今生では、「霊視や霊能力を濫用せずに生きられるか」「お金儲けに溺れずにいられるか」を試されています。
霊視で視えるもののすべてが啓示なわけではない
霊視で視えるもののすべてが、ガイド霊(守護霊)からの啓示というわけではありません。
本人の願望、妄想、恐れなども映像化されて視えることがあります。そのタイプの霊視のほうが多いくらいです。
繁盛している霊能者でさえ、自分の妄想が視えているだけのことが多いです。
低級霊に余計なものを視せられる、ということもあります。
まぶたの裏に大天使のような姿が視えても、低級霊がそそのかしているだけだったりします。何かの姿が視えても、そこに居るとは限りません。
ドラッグなどして霊視を楽しむ人がいますが、それがガイド霊からの啓示なわけがありません!
霊視は基本的に、他人の人生相談に用いるべきものではないのです。
当人の人生の道しるべとして、霊視で視せられることはあります。何の欲もないときに視せられることが多いです。
霊聴も、すべてが啓示なわけではない
ちなみに、霊聴で聞こえるものも、すべてがガイド霊からの啓示というわけではないです。
霊聴の主が「私は大天使です」と名乗っていても、低級霊にすぎないことが多いです。
ピュア・インディゴは座禅瞑想に励んでも霊視が恒常化しない
「オールドソウル」などのピュア・インディゴは、座禅瞑想に懸命に励んでも、映像霊視が恒常化したりはしないです。
ピュア・インディゴは、映像霊能者になるべきでないブループリントなので、ガイド霊が規制を掛けます。
しかし、「青白いモヤモヤの光」を視るようにはなれます。座禅瞑想の訓練だけでなく、精神的に達観する必要もあります。6次元並みの精神が必要で、無欲でナチュラルな人であるはずです。
ピュア・インディゴでも、人生の中で1度や2度くらいは、派手な映像霊視を視ることもあるでしょう。「あ、霊視って本当にあるんだ!」と痛感できる体験はするはずです。それを理解したら、ガイド霊はもう、映像霊視を視せなくなります。(少々の特例はあります)
ピュア・インディゴでなくても、第6チャクラが非常に活性している人(ロイヤルブルーのオーラが非常に高い人)は、派手な映像霊視が恒常化しません。しかし以前に何度かは映像霊視を体験したことがあるはずです。
ただ目を閉じているだけでは不充分・・・
座禅瞑想に取り組んでいるつもりでも、ただ目を閉じているだけでは不充分です。心を鎮める必要があります。いわゆる「頭を無にする」必要があります。
多くの人は、座禅瞑想をしているつもりでもあれこれと悩んだり楽しいことを考えたりしていて、サイキック能力の活性化は進んでいません・・・。
現代人は快楽で気が散りやすく、座禅瞑想が苦手な人が多いようです。
敢えて霊視を視せられる人もいる
第6チャクラの活性具合が60点、70点と達観しているのに、敢えて霊視を視せられる人もいます。
自分のためであることもあれば、人のためであることもあります。
「どうしても道を踏み外してほしくない」というときに、ガイド霊が霊視を視せることがあります。
それが結構頻繁に起こる人もいます。利他的で誠実な人でしょう。また、奉仕的な「オールドソウル」がそばにいるでしょう。彼に何かを伝言する役割を期待されていたりします。
霊視に憧れる気持ちはわかるが・・・
霊視に憧れてしまう気持ちはわかります。筆者もそうでした。
しかし、霊視に盲目しているとスピリチュアリストにだまされやすく、霊的な学びも途中で停滞してしまいます。
「霊視を強化する!」と謳うグッズやパワーストーン、ワークショップ、ヒーリングなどあれこれ買い漁ってしまってはいませんか?そうしてお金をむしり取られ続けてしまいます・・・。
それなりに努力や模索をしていていれば、1、2度は派手な映像霊視を体験できるはずで、それで満足しておきましょう。