社会生活やSNSの中で、スピリチュアルな考えを持つ人を見つけると嬉しくなるのでないでしょうか?
しかし、いわゆる「スピリチュアリスト」には様々なベクトルの人がいます。
「霊性開発」界隈の人はモラルが低い傾向
サイキック能力を獲得したい、第3の目を開きたい、霊性開発ワークショップ、といったキーワードを並べる人々は、誠実な人は少ないです。
彼らは非科学的なものに心を開いてはいますが、サイキック能力を獲得してお金儲けをしたり、チヤホヤされたり、人生を楽したいと企んでいるのです。
一番ヒサンなのが、すごいワークショップなど見つけてお金を払いさえすれば超人になれると思っている人たちです。超人になりたいが努力をする気がないのです。
霊性開発のために、座禅瞑想などの修行に励もうとする人たちもいます。努力や向上心があるので上記の人びとよりはマシです。
しかしこのタイプの人びとも、人生に対してのモラルが高いわけではなく、野球少年が野球上手になりたがっているのと同じようなものです。奉仕心は乏しいのです。
男性のスピリチュアリストに多いです。スピリチュアリズムとは霊性開発や霊的な知識のことだと思っており、奉仕心が希薄です。
アセンションを目指すスピリチュアリストは1%もいない
私たちのコラムで書いてきたような、アセンションを目指す魂ミガキに強い関心を示すスピリチュアリストは、日本のスピリチュアル界隈の中に1%もいないです。
オーラソーマ業界の中にも、その講師の中にもいないです。
「魂ミガキ」という言葉を使う人が、そもそももういません。
これは2000年頃に江原さんが使った言葉で、当時は「誠実に生きよう」「心を磨こう」と考えるスピリチュアリストが少数いたものでした。
奉仕的な人格を目指す人もほぼ皆無
スピリチュアルな言葉をSNSでつぶやいたりする人の中に、奉仕的な人格を目指そうとする人もほぼ皆無です。
「スピリチュアルな学びのゴールは、お金を介在しない奉仕社会の実現だよ」と説く本はそれなりにあったものですが、誰もそこに共鳴しなかったのです。
スピリチュアル好きな人々は、ちょっと人に優しくできればそれで充分だと思っています。それが偽善であってもいいと思っていたりします。
やや近いのは四国の仏教思想者
アセンション的向上心にやや近い考えを持つのは、仏教思想者です。仏教好きな人は、「自分を律するべき」という考えを持つ人が多いです。
質素であるべき、資本主義は良くない、誠実であるべき、人に手を差し伸べるべき、国政に頼らず共助をすべき、といったポリシーを持つ人が多いです。
特に四国のお遍路道沿いの仏教思想者は、「空海のようにやがては俗世を捨てて旅立つべきだ」と考える人が多く、霊的探求の果てに浮世離れする人にさえも理解を示せる人が多いです。
四国のお寺の神職者というよりも、仏教徒と名乗ってすらいない一般市民に、そういう人が多いです。宗教信仰というより、空海思想的なものが染みついている、という感じです。
しかし仏教思想者は素朴すぎてカラフルさがなく、芸術や笑いにも乏しい傾向で、友達付き合いしたい人柄でもないかもしれません。
または、マザーテレサをリスペクトする人なども良い感性を持っている傾向があります。精神成長のために、行動をしようとするでしょうし、人を助けようとするでしょう。
スピリチュアル界隈で友達を作ろうと思っても、気の合いそうな人が全然いない、ということになりがちなのです。