どうしても霊聴が欲しい、と願うなら
- acousticlife111
- 2024年2月17日
- 読了時間: 2分
霊聴サイキックが発現する仕組みについては、筆者のブログの読者さん方は把握していると思います。
まず簡単におさらいしましょう。
座禅瞑想の習慣をしばらく続けることで、まずは霊視が発現します。
それでもまだ座禅瞑想の習慣を続けていると、次に霊聴が発現します。
しかしさらに座禅瞑想の習慣を続けたり、精神的に達観すると、霊聴は閉じます。まぶたの裏に光を視たりはするが、啓示めいたものを視たり聞いたりはしない、という状態になります。
または、ピュア・インディゴの人などは生まれつき霊聴を超越した状態にいたりもします。
霊聴は何のためにある?
上記のようなことを理解し、自分が霊聴の段階を超えていると理解しても、「それでもやっぱり霊聴でたくさん啓示を受けたい!」と望む人がいるでしょう。
しかし、霊聴とは何のためにあると思いますか?
霊聴は、あなたに楽な道を示すためにあるわけではありません。霊聴は基本的に、当人に奉仕的なことを指示するためにあります。
どうしても霊聴が欲しいなら、奉仕的に生きる決意を持とう
霊聴のサイキック段階を超えてしまったあなたが、どうしても霊聴を多用したいなら、奉仕的に生きる決意を持つとよいです。
「人生は他者のために投げ打っていい。今私は誰のために何をすればいいか教えて!」そのように強く願うなら、霊聴で指示が下りる可能性があります。
最終的にそれを決めるのは各人のガイド霊なので、「こうすれば確実に霊聴が出る」と言い切れるものは何もありません。
しかし最も可能性の高い手段としては、こうです。
恋愛へのアドバイスが下りることもあるが・・・
「恋愛相手を見つけるために霊聴で指示が欲しい」と願う人もいるでしょう。
それも不可能ではありません。
しかし、「相手を癒してあげられるような恋愛をするぞ」「自分の成長になるような恋愛をするぞ」といった向上心を伴っている必要があります。
言い換えれば、ワガママや欲張り、ウジウジを克服する努力が必要です。
霊聴は、楽をするためのものではないです。
それを履き違えていると、低級霊にそそのかされ続ける危険が大きいので、くれぐれも気を付けてください!