オーラ診断を受けてみると、60点の色がずらりと並んでいるのにターコイズだけが50点、40点、という感じの人がいるでしょうか。
「色々がんばっているはずなのに」ともどかしくなりますね。
真面目な人に多い
ターコイズだけが低いのは、真面目な人に多いです。
「エンタメの色」というニュアンスがあるため、仕事ばかり頑張っているような人は上がりにくいです。
むっつりスケベ?
このブログを読んでいるということは性欲が強いはずです。
しかしその性的な関心やフェチズムを、誰にも話せていない、というような状況なのではないでしょうか?
ターコイズには「本音をさらけ出す」という大きなテーマがあり、これがすなわち、現代日本人にとっては「性的なことを話せるかどうか」に集約されます。
また、ある程度セックスが好きになれば、ときには下ネタっぽいこともおしゃべりしてみたくなるものです。それが出来ないでいると、性的抑圧となりフラストレーションを溜め、ストレス性の病気になったりします。肌荒れに響く、なんてこともあります。
一人や二人でもよいので、性的な話を安心して打ち明けられる人を作れるとよいです。「ご無沙汰でムラムラなんだよねー」などと感情を伴うことを打ち明けられるとよいのです。
芸術的表現力の低迷にも関わってくる
性的な本音を打ち明けられないことは、ターコイズのテーマの1つである「芸術的表現力」の低迷にも関わってきます。
テレビを見ていて、芸能人やセレブがカッコよく見えるのは、大胆に生足の出るミニスカートをはいていたり、ノースリーブや肩出し、胸の空いたドレスを着て颯爽と歩くからです。
また、歌や絵も、「この人は雄弁に表現するなぁ!」と思わされるのはセクシーさをいとわない人のものだったりします。
「性的なことは恥ずかしい」という思いが強いと、芸術でもスポットライトの下でも、大胆に自分を表現できません。自己表現が怖くなります。それがターコイズの低迷に繋がります。
不特定多数に見せなくてよい!
SNSなどで知らない人にまで性的な本音をつぶやかなくてよいですし、ミニスカ姿を披露する必要もありません。
セクシーな表現をするとナンパ男、ストーカー男が寄ってきやすいですから、自己防衛のためには表現する場所をわきまえたほうがベターです。
本来的には「1から不特定多数へ」の自己表現もターコイズのテーマなのですが、モラルの育たない現代日本において、無理に大勢の前で大胆さをさらけだす必要はありません。
好きな人が出来たら、素直になろう
もしあなたが、「好き!」と思える男性を見つけたなら、その人には素直になるとよいです。
「本音を言えば恋人じゃなくてセフレが欲しいんだよね」とか、「AVで観たやつをやってみたいの♡」とか、彼に素直に打ち明けましょう。実現できるかどうかではなく、「興味を話す」ということが重要です。
そして、好きな人の前なら、ミニスカート姿を披露してみたり、アイドルを真似て可愛くキメポーズをしながら踊る、といったことも危険を感じないでしょう。恥ずかしさはあるでしょうが、それを乗り越えるのがターコイズというわけです。
ちょっとわざとらしく演じることが、周りからは「表現力がある」と見えます。ダンス、音楽、演劇などかじったことがあるなら、言わんとしていることはわかるでしょう。
心が軽くなるのを感じるでしょう
ちょっとえっちな本音をさらけ出す、ということが出来るようになると、心がふっと軽くなるのを感じるでしょう。今までずっと、微細な緊張感を背負いながら生きてきたんだな、と気づきます。
すると笑顔の時間が増えたり、笑顔がイキイキします。リラックスを感じる時間が増えます。それは健康にも影響を及ぼすでしょう。
ストレスによるイライラや暴食、衝動買いなども減るでしょう。
21世紀を生きていくうえで重要な感性
ターコイズのこうした感性は、実は日常生活に直結します。
20世紀の世の中では、ターコイズ的な感性は芸能人志望者でもないかぎり必要ありませんでした。
しかし21世紀は、テレパシーもしくはIT技術によって、人々の心が筒抜けになっていく時代です。アニメなどの表現がどんどんセクシーに、コッテリになっていく時代です。
すると、「セクシュアルな会話はできない」「萌え絵の女の子は描けない」と言っていると時代に取り残されます。ATMの機械やパソコンに迎合しない老人がどんどん取り残されていくように、ターコイズのこうした感覚が苦手すぎると、世間から取り残されていくようなところがあります。
古風な感性が悪いのではなく、それも肯定しつつ上記のようなターコイズの振る舞いも出来るようになったほうがよいのです。
学校や会社では下ネタなど全然話さず、でも心開いた人の前ではえっち、という使い分けは、可能です。自己防衛しながらセクシーであることは可能です。