「出会う人のすべてが教師である」といったことが、スピリチュアルや自己啓発などでよく言われています。
そのように考えたほうが良いのでしょうか?
人によって捉えるべきニュアンスが変わってくる
「出会う人のすべてが教師」というのは、正解でもあり、正解ではないとも言えます。
この言葉は、人によって捉え方を変えるべきものです。同じ人でも、成長段階によって変えるべきです。
学生には非常に適した言葉
たとえば、学生に対して「出会う人のすべてが教師だよ」と諭すのは良いでしょう。
学生は、少々頭が良くなってもまだまだ視野が狭いです。しかし「オレはもう社会を知ったぜ!」と驕(おご)ってしまう人は多いものです。それに対して「あなたの知識はまだ上辺だよ」と、卒業式や入社式でクギを刺すのは非常に大切です。
謙虚な人には逆効果になってしまいがち!
スピリチュアルや自己啓発を読み漁る人の中には、非常に謙虚なタイプの人がいます。
この人にとって、「出会う人のすべてが教師である」という言葉は、あまり適していません。謙虚というよりも「自己評価が低くなりすぎてしまう」「自信が持てない」という状況に陥りやすいです。
特に大人になってそれなりに社会経験も積んでいるなら、上司のすべてがあなたよりも優れた視点や振る舞いをしているとはかぎりません。
幼稚な大人も多いわけなんですが、「いつも陽気なあの人は私よりもポジティブですごい」などと、誤った解釈をしてしまいがちです。
「参考になる点が一部はある」と捉えるとよい
結論としては、この言葉は、「参考になる点が一部はある」というふうに捉えるとよいです。
たとえば、芸術が好きな人は精神的に大人びた人が多いです。スポーツの好きな人は精神的に幼い人が多いです。
しかし、芸術好きな人は運動不足に陥りがちな傾向もあります。そんな人にとって、テレビの向こうでノー天気にダンスを踊っているタレントさんも、「大人になっても怠けず体を動かしてる点は見習いたいな!」と、お手本になります。その人のダンス動画をそのまま運動習慣に用いたってよいでしょう。
たとえば、SNSでメイク動画を発信するインスタグラマーは精神的に幼い人が多いです。
しかし「メイク技術」に関しては、勉強をサボってまで練習し続けてきただけあって、スゴい領域に達していたりするかもしれません。彼女のメイク動画を見ることで、メイクを上手く仕上げるコツや、コスパの良いアイテムを知ることなどが、短時間で叶うこともありそうです。
誰しも、何か1つくらいは特技や趣味を持っているものです。
総合的に見れば視野が狭く幼くても、何かの技術や知識に関しては、聞いていて面白いかもしれません。
どちらが達観しているのかよくわからないこともある。
たとえば、何かの業界の第一人者が偉そうに語っているとき、あなたよりも深い視点で物事を言っていることもあれば、そうでもないこともあります。
「達観してるのかな、幼稚なのかな」と、しばらく考察してみてもよくわからないこともあるでしょう。
どうしても、こういうケースが時々はあります。