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強要しない指導者と一歩がんばる従事者

「オールドソウル」はなぜいつもニコニコ笑っているのでしょうか?

人一倍過酷な重荷を背負いながらもニコニコしていたりします。

 

何かの高みに達しやすい三大コードネームが「キリスト」「ソフィア」そして「オールドソウル」です。

その中で「オールドソウル」は、他とはちょっと違った考え方をします。

 

 

強要しない、スパルタしない「オールドソウル」

「オールドソウル」は教師や管理職などのポジションに就いたとき、従事者にあまりスパルタ教育をしない傾向です。大変な課題を強要もしません。すると従事者たちはストレスの少ない日々を過ごせます。

なぜ「オールドソウル」はそういう方針をとるのか?

自分がそれで育ってきて、成果と心の充足を両立していると自覚しているからです。

 

彼は、超一流の人材を生み出したいと思っています。が、ギスギスした超一流を育てたくはないのです。「ニコニコ、のびのびと生きる超一流」を育てたいのです。ギスギスしているならそんな超一流はむしろ要りません。そんなふうに育ったって、かわいそうだからです。ベジータのような一流は、世界に必要ないのです。

 

 

「のびのび」の中で激しい自主練習に打ち込む

「オールドソウル」の少年は、たとえば日曜日のサッカーチームが町に2つあるとき、「名門育成チーム」ではなく「のびのびチーム」を選びます。

ここには「グラウンド10周!」や「スクワット100回!」を強要してくる鬼コーチはいません。みんなで笑顔でゲームを楽しんでいます。彼らはストレスなく苦痛なくサッカーを楽しむことが出来ます。

その代わり、あまり上手な子もいません。

しかし「オールドソウル」は、学校のサッカー部ではレギュラーを張っていそうです。

 

「オールドソウル」は「のびのびチーム」の中で和気あいあいとゲームを楽しんだあと、解散後にグラウンドを10周して、スクワットを100回します。誰にも強要されていません。しかし世相を見て、トップクラスに立つにはどんな練習が必要かと考察してわかる答えを、自主的にやります。

彼は、体調の悪い日はグラウンド10周をせずに帰ります。鬼コーチに強要されているわけではありませんから、無理はしません。休んでも「お前仮病だろう!」とコーチや仲間たちにいじめられることもありません。

体調が良ければ頑張ります。10周走ってまだやれそうな気がしたら、15周走ります。すると彼は、あわよくば部活でレギュラーどころか、市でベストナインに入ってしまいます!

 

強豪な子たちは、みんな目がギラついています。激しいストレスを抱えていますし、後輩に対して意地悪です。

でも「オールドソウル」の彼は、市のベストナインに入るレベルにいてもなお、ニコニコと微笑み、後輩に優しいのです。一緒に片づけをやって帰ります。

(彼は、片付けも持久力を磨くトレーニングだと思っています)

 

 

世の中には時々、こういう指導者がいる

世の中には時々、こういう「オールドソウル」っぽい指導者がいるのです。

過酷なノルマをスタッフに課さず、細かいことをたくさん強要してもきません。

「ストレスにならないように、マイペースにやればいいよ♪」と言います。

 

「過酷なノルマも細かい指示もない指導者の元では、大して成長もできないだろうな」と多くの人は思います。

しかし、次の世代の「オールドソウル」の子はこの指導者を気に入ります。

まずは過酷なノルマに追われずのびのびと課題をやります。そしてそれを提出したとき、「まだ余力があるんですけど、他に課題はありませんか?もっと細部を詰めますか?」と尋ねます。

するとどうでしょう!

ゆるゆるかと思った指導者は、「じゃぁあれとこれをやってみようか♪」と次の課題を用意しています。

「わかりました!」と笑顔で答えるこの子は、辛いノルマもプレッシャーも背負わずに、どんどん成長していくのです。

 

 

結果を要する場合は調整が必要

しかしこの「オールドソウル」的指導は、正しいとも言い切れません。

過酷なノルマを強要しない指導者に対して、自ら「あと一歩がんばろっと!」と自発的にがんばってくる子は、1割もいないでしょう。すると組織としては、優秀な人がたくさん育つわけではありません。

町のサッカーチームのように、優秀な人間を輩出しなくてもかまわない場合、「オールドソウル」的指導者はのびのび方針を続けるでしょう。

会社のように、ある程度のクオリティや期日を求められる場合、ある時期まで様子を見て皆が動かないなら、強制の度合いを強めていくでしょう。

 

ほとんどの人は、この「オールドソウル」的指導者の親心が、わからないようですね。そして自分から、スパルタなまたは意地悪な人のもとに行ってしまいます。そして辛い思いをし、ストレスを溜めるのです。

 

 

自分で察して、熱意を注ぐべき

何かを上達したいとき、仕事で成長したいとき、どれくらい努力すればいいかは、指導者に強要されなくてもある程度わかるはずです。たとえば、1日30分の練習でプロになれるわけがないのです。

そこは自分で察して、熱意を注ぐべきです。ジャニーズのYoutubeばかり見ている場合じゃないのです。

 

また、「締め切り前日にならないとやる気がしない」というのは、良い心がまえではありません。

 

 

幸せな人生というのは、スパルタ教育してもらうのではなく、自発的に「課題よりもうちょっとやってきたよ♪」「締め切りより早く終えちゃったよ♪」とやりたがるようになって、ようやく実現するのでしょう。

自分にとって、今どんな成長をしたいのか、どんな成果を出したいのか、よく考えるとよいです。大人になると誰も強要してきませんから、自分で強要度の低い課題を作るのです。自分で強要の少ない指導者を見つけるのです。

ゲームや遊びをたくさんしてもよいのですが、それが余暇の8割を占めていて、よいのでしょうか?

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