性欲とどう付き合っていけばよいのか、ということを、私個人の見解を交えて書いてみたいと思います。
私の心を交えて、というところに意義があると思います。
セックスは好きだが、とにかく女性を不快にしたくない
私の性観念を端的に書けば、こうです。
「セックスは好きだが、とにかく女性を不快にしたくない」
物心ついた頃には、性に興味があったのを記憶しています。
しかし同時に、幼児の頃からもう「男性の性欲は女性を傷つける」ということをわかっていました。
「セックスはしたいが女性を不快にしたくない」という葛藤に苦しんできた思春期でした。
私は学校で一切下ネタを言わないので、「安全な男」という印象を与えます。すると女の子たちから、「実はレイプに遭ったことがあって悩んでいる」という相談を幾つも受けました。それはその子たちの役には立ったと思いますが、私自身はなおさら、女性に対して性欲を見せることが怖くなりました。
自制するからこそ開けたもの
下ネタを言わない、恋愛への興味を言わない、というスタンスは、恋愛に恵まれにくいものです。そういう青春時代を過ごしてきました。
が、私が性欲を表に出さないからこそ「あなたと恋愛したい」と言ってくれる女性が、何人かは現れるのでした。世の中には「性欲が強いけれど下品な男は嫌い」という女性がいます。
また、ガイド霊たちが私に霊的真理の啓蒙をさせるようになった理由は、「セックスの自制心が強いから」というのが大きかったようです。安全な場所を作れます。
私は、大衆男性とはまったく違う恋愛スタンスを生きてきた、と言えます。
タブーがないことを見せる必要性
カウンセラーの仕事をするようになった頃、考え方がまた少し変わりました。
人はときにセックスに関する相談をしたいものですが、私が性的な言葉や興味を何も書かないと、「この人にセックスの相談は出来ないのだな」と思わせてしまいます。それは良くないので、SNSなどの中で適宜、セックスについての文章を書くようにしました。
そうして、「この人はセックスが好きではあるが、性的な話題を無暗に振ってこない安全な人だ」という認知を得るようになったのだと思います。
2つの役割をこなせる人間だと、認知されていると思います。
恋愛観や恋愛スタンス
私は結婚をしたいと思っていません。結婚が良いものとも思っていません。
また、正社員労働をしていませんし、いつ旅に出て帰ってこないかもわかりませんし、アセンションを模索するこんな変わった人間ですから、女性に対して「恋人になってよ」と言うのは心苦しいものがあります。
セックスはしたいが、自分の変な人生に女性を巻き込むのはしのびない。すると、恋愛は「そんなあなたがいい」と思ってくれる女性に口説かれたときにすればいいや、と考えました。
そもそも女性を口説くことが好きではありません。性的関心を伝えて不快にしてしまうことが、嫌です。
ペンジュラムを回すようになってからは、恋愛は完全に自分の意思を挟みません。
女性に「セックスしよう」と誘われても、自分の好みでは判断しません。ペンジュラムがYESと回れば応じますし、NOと回れば「ごめんなさい」と伝えます。相手が可愛いから応じる、不細工だから断る、というようなことはしません。
可愛いと感じているときに、「可愛いね」とは伝えますけれどもね♡
ベッドの中でも相手を不快にすることが嫌い
ベッドの中でも、とにかく相手を不快にすることが嫌いです。「どんなセックスがしたい?」「どんな愛撫をされたい?」「何をされたくない?」と尋ねて、相手の望みを尊重します。
男性にとって、裸の女性と抱き合えるだけでも幸せですから、自分の欲求は二の次でもよいのです。
また、セックスの強烈な喜びを私は理解しています。
女性だってそれを体験したいことが理解できます。ですから、とても濃密に愛撫し、とても濃密にセックスします。「人生で一番幸せなセックスだったわ」と思ってもらいたいのです。「もうセックスに抑圧はないわ」と思ってもらいたいのです。
極端に言えば、自分は愛撫をされなくても、射精をしなくてもいいやと思っています。それほどの自制心や欲の節制があります。しかし、私がたくさん気持ちよくしてあげると、「あなたにも快感の恩返しをしたい」と言ってくれる女性もいるものです。すると私は、女性に何を強要しなくても、不快な思いをさせなくとも、強烈な快感を得ることが出来たのです。
男性は、女性を支配しなくてもセックスの境地に至れます。
思いやりとは、多面的です
セックスにおける相手への思いやりとは、多面的なものです。
私は、口臭や体臭が出ないように、毎日の食生活や衛生観念に気を付けています。お酒もタバコもしませんし、お肉はあまり食べません。タバスコなど濃い味のものはあまり食べません。
口が臭い、体液が苦いと、女性が不快なのは明白です。そのケアをするのはエチケットです。
また、太らないように気を付けています。暴食しませんし、運動をします。
清潔感のある服装を好みます。
女性にとって、セックスする相手が醜いと嫌であろうことも、容易に察せられます。相手が少しでも気分よく抱き合えるように、見てくれに気を配ります。それは、毎日の生活習慣からコツコツと整えます。
性的魅力を上げる(保つ)ためには、毎日の節制努力が必要だと思っています。
もちろん、セックスや愛撫の仕方を手広く研究するのも思いやりですね。
もう抑圧も欲求不満もないのです
こういう女性尊重のスタンスで生きていると、中には「あなたになら何をされてもかまわない!」と言ってくれる女性がいます。すると私は、アダルトビデオなどで垣間見た様々なセックスの好奇心や深い快感欲求をも、満たすことが出来たのです。
何年も毎日セックスをする生活も、送ったことがあります。
ものすごい美人とも、ものすごい豊かなバストの女性とも、セックスを体験させてもらいました。
可愛いコスプレ姿も、期間限定のミニスカサンタも抱かせてもらいました。
そして現在も、定期的に私をセックスに誘ってくれる人がいます。
ですから私は、セックスに対してまったく抑圧がなくなってしまいましたし、欲求不満もないのです。
精液が溜まれば性欲自体は毎日でも湧きますが、別にオナニーでも解消できますから、欲求不満は感じません。
ですから、女性を押し倒す必要も、懸命に口説く必要も、だまくらかす必要もないのです。
・・・こういう経緯で、今を生きています。
男性と女性では、性欲との付き合い方は異なる
まとめです。
男性においては、私のように「常に女性を尊重する」という姿勢を貫けるようになったほうがよい、と言えます。セックスがしたいなら、女性を押し倒さず、卑しい駆け引きもせず、風俗に行けばよいです。自分ミガキをしていれば、女性のほうから「セックスしたい」と言ってもらえることもあると思います。
女性の場合また異なります。
女性は、素直に自分の性欲を伝えて、自分でセックスの機会を作るべきです。女性が自分の性欲を伝えても、男性は傷つかないし不快にもなりませんから。それに大抵はOKしてもらえます。そうして相手や場所やタイミングを女性自身がコントロールすれば、セックスで不快な思いをしなくて済みます。いつも幸せなセックスになります。
女性はセックスに対して繊細な生き物ですから、そのようにしたほうがよいです。
女性は自分から、アプローチをしたほうがよいのです。「明日したい」と伝えたほうが良いのです。
とてもエッチなのは良いことです。それは男性を魅了します。終電などのTPOを自制できていれば大丈夫です。
また、自己防衛のためには、不特定多数の前では性的な話やセクシーな姿を見せないほうが良いです。
「セクシーな姿を披露したい」「えっちな話をしたい」といった欲求は、彼氏にぶつけるとよいです。
性欲自体は、悪いものではありません。ちゃんと解消したほうが良いものです。
扱いがとても難しいのです。
性欲を否定するのではく、抑圧するのではなく、安全な相手や場所を見極めて、解消できるようになりましょう。セックスそのものについてだけでなく、性的な会話についても、です。
相手が見つからないときはオナニーをしましょう。毎日でもよいのです。
性的な欲求不満を溜めると、暴飲暴食や衝動買いに陥りがちです。