ここでも自分の実体験を書きます。
私の学生時代の勉強プロセスについてです。
進学校のはしくれ、程度のものです
私はそれほど学力のある人間でもありません。
一応、地域の中で進学校と呼ばれる高校に入りました。そこで学年11番くらいはとって、偏差値的には68くらいは、高校時のマックスかなと思います。
私は子供の頃からぜんそく持ちで、発作が出ると1週間くらい学校を休むことになり、それが勉強や体育の足をすごく引っ張ったので、健康体ならもうちょっと成績が良かったかもしれません。
塾も行かない、家庭教師もない
高校2年までは大学進学のつもりでいました。進学レベルの高校に進み、大学進学を見据えていたわけですが、私は一度も塾に通ったことがありません。
家庭が貧しかったですし、塾に行ってまで勉強したくないですし、塾が有意義とも思えませんでした。
私がもし「頭がよい」のであれば、それは「塾に行かなかったから」だと思います。
どういう意味でしょうか?
「テストに出そうだから」という対策をしなかった
学校の先生も、特に塾の先生も、「テストに出るからこれを集中的に覚えろ」と言います。
みんなは「これが頭がよくなる秘訣だ!」と思っていたようですが、私はそうは思いませんでした。
テスト対策、過去問対策をやって点数を上げても、それは「学力」というよりは「不正行為」「ハッタリ」に思えて仕方ありませんでした。
私は基本的に、「テストに出そうなもの」ではなく、各単元を馬鹿正直に勉強しました。
それで皆より点数や偏差値が低くても、「これが僕の実力だ」と思って受け入れました。
進研ゼミもやらない
進研ゼミもやっていません。
毎月のようにあのマンガ形式のお誘いDMが届いていました。「わぁ!進研ゼミでやったところがテストに出てる!」と主人公の少年が喜んでいるやつです。
あれをやったらもっと点数がとれたのかもしれません。
しかし私は小学3年生ですでに、「こういうのは本当の勉強じゃないし、こういうことを勧めてくる企業ってどうなんだろうな」と思っていました。
ただ授業と宿題を目いっぱいやった
私は、小学3年生くらいまではクラスで2番か3番くらいの学力がありました。
すでに塾に入って2年先の内容を習得済みの子たちも大勢いましたが、その中でもクラスで2番くらいでした。
私の成績はぜんそくの悪化とともに落ちていきましたが、子供の頃は学力が高かったと言えます。
しかし私は塾にも行かず、進研ゼミもくもんもやっていません。
ただ授業を目いっぱいがんばり、宿題を真面目にやりました。それだけです。
授業中によくおしゃべりをする子供でしたが、プリントを終わらせてからしゃべります。
授業を頑張るというのは、問題をこなすだけでなく、積極的に手を挙げて発表し、議論をし、大きな声で音読をしました。
こうした基礎学習をしっかりやっていただけです。
私は小学校低学年の頃、勉強が嫌いではありませんでしたが、遊ぶことが大好きでした。外を駆け回り、ファミコンをやり、マンガを読む・・・遊ぶ時間は重要なので、勉強は最低限で留めたい、と思っていました。
それでクラスで2番、3番に位置していたのは、おそらく私は、勉強をとても集中して行っていたのだと思います。それだけです。
「やったフリ」「わかったフリ」をしない
少なくとも子供の頃において、生真面目でしたし、「勉強の本質」を大切にしていたと思います。陽気な子でしたが、勉強や課題をしっかりこなしました。
「やったフリ」「わかったフリ」を大人に見せつけるのではなく、「課されたものをちゃんとこなしたい」と思っていました。
この記事の要点がわかりますか?
「塾に行ってテスト対策をばっちりやる」という巷の考え方と、真逆なのです。
昔の人々はこのように勉強していた
昔の人々は、このようにバカ正直に勉強をしていたのです。何がテストに出るかもわからないので、万遍なく勉強し、それで入試やテストに挑みました。
いつからか、「進研ゼミのテスト対策」とか「赤本」とか、塾、予備校といった勉強対策が台頭し、勉強というものが「出そうなものを対策する」「よく出るものを暗記する」といった内容にすり替わってしまいました。
だから、頭が良いのか良くないのかよくわからない大学生が、量産されるようになったのです。
知性とは
おそらく、ですが・・・
私と同じような考え方をする人は、大卒の肩書や大学進学、学歴、偏差値といったものを不毛に感じます。それらで人を評価しませんし、そういう評価をする人々を「浅はかだな」と思っています。
そして彼らは、学歴ではないところに知性を傾けて生きます。自分の知性が、他者に文書証明できないような生き方をします。
彼らは、天下一武道会には出場しないのです。
勉強の努力が、まったく収入に結びついていません。
でも、それを気にしていません。勉強は収入のためにするものだと思っていないので。
そして彼らは、ユーモアセンスがあります。