「不親切」と「父性愛」の違いはわかっている?
- acousticlife111
- 2024年4月19日
- 読了時間: 3分
「母性愛」とは、甲斐甲斐しく面倒をみるような愛情を指します。
「父性愛」とは、「自分でやってごらん」と突き放すことで成長を促す厳しい愛情を指します。
父性愛はあまり理解されていない・・・
スピリチュアルでは「父性愛」について説かれることが結構多いです。
特にヒプノセラピーやトラウマに関連する人々がこれを語ります。「お父さんには、いじめられたのではなくしつけられたのだと気づきなさい」といった具合です。
しかし、こうした解説を受けて「癒された」と感じる消費者も、これを解説するセラピストや執筆者も、父性愛をあまり理解していないことが多いです・・・
不親切は父性愛ではない
親が子にあまり手出しをしなかったことで、自立的に育つ子がいます。
しかし、手出しをしなかった動機はどうだったでしょうか?
子育てに関心がない
DV、ギャンブル中毒やアルコール中毒
子育てが下手
人との接し方が下手
といった感じで、何の考えもなしに子供を放任したのであれば、それは父性愛ではありません。不親切、無関心、育児放棄、虐待・・・といったものです。
こうした不親切によって、子供が自立的に育つこともあります。しかしその場合、「親に感謝しよう!」などと思う必要はありません!
真っ当な父性愛は、母性愛の先にある
自分が親や上司から受けたものが、「父性愛」だったのか「不親切」だったのか、見分けがつかない人は少なくないでしょう。
1つ目安があります。
真の父性愛に長ける人は、母性愛にも長けます。面倒見も良く、場合によっては甲斐甲斐しく人の面倒を見ます。甲斐甲斐しく面倒を見る強い慈愛を持っていながらも、「今この子に手助けをしてはだめだな」と冷静に考えて、突き放します。
その上司や親を観察すれば、大体わかるはずです。
ただし、大好きな彼女や可愛い後輩にだけ優しい、という感じなら母性愛とは言えません。それは下心です。母性愛のある人は、(状況に応じて)誰にでも甲斐甲斐しく面倒を見ます。
本当は母性愛を持っているのに、職場ではまったくそれを見せない人もいます。教育指導の怖い先生などが思い浮かびます。
不親切だった人に、感謝も愛情も恩返しも必要ない
父性愛ではなく不親切であなたを突き放してきた人に対して、感謝の念も愛情も、恩返しも行う必要はありません。
ヒューマンドラマで、DVの父にも愛情を注ぐ場面が感動として賛美されていますが、それはまったく良いこととは言えません!そうするとDV気質の人間がつけあがります!
一緒に暮らす必要もないですし、介護のために家に戻る必要もないですし、「なんだかんだ言っても育ててくれてありがとう」などと手紙を贈る必要もありません。
「酷い父親だから自立できたわ。ある意味では感謝だわ」といった観念を抱くのは良いです。その境遇に対して落ち込まず、プラスに捉えるのは良い心がけです。しかしその人本人に感謝の念・行動を向ける必要はないです。
酷い境遇で育ったことをさらっと忘れて生きることは、良いことです。
そうした達観は、誰にでも必要なことです。
父性愛はブルーのオーラのテーマです。