現代のスピリチュアルでは「悟り」という言葉はあまり聞かれませんが、もともと霊的な探求とは、悟りを目指すものでした。
では「悟り」とはどういうものでしょう?
大きく分けて2つの意味合いがある
「悟り」という言葉には、大きく分けて2つの意味合いがあります。
1つは、「この世の苦しみから解放される」といった意味合いでの悟りです。
ゴータマ仏陀や仏教の立派な人たちが達したとされる精神です。
もう1つは、各色のオーラのテーマにおける「達観」です。
「あの人は母親として悟ってるよね」などというふうに使われます。
この世の苦しみから解放されるにはどうしたらよいのか?
悟りを開いてこの世の苦しみから解放されるにはどうしたらよいのでしょうか?
それは主に、ロイヤルブルー的な達観です。
「物質的な執着を手放すこと」です。
多くのお金や物を得ても幸せになれるわけではない
あらゆるものは変化するし、壊れていく(諸行無常)
名声を追いかけたところで虚しい
こういったことに気づき、人生でこれらを追わなくなることです。
言葉にするのは簡単ですが、実際にはそう簡単なことではないでしょう。実際のところ、ボロ布一枚で生きるような覚悟が要りますし、ホームレスへの排除が強い日本では生きることすら困難になってしまいます。
「ものなんて別に要らない」という感覚に至ったあと、でも適度にアルバイトなどしながら細々と生きる、といった様が実際的な姿勢です。
ゴータマ仏陀が語った「悟り」は主にロイヤルブルーに関する上記のようなことで、実はそれだけではアセンションには達しませんし、解脱とは言えません。
すべての色のテーマにおいて、「悟り」の境地がある
そして、すべての色のテーマにおいて、達観した境地があります。
その物事に対する執着を手放したところにあるようなものです。
人々は、ある道の第一人者に対して「あの人は悟っている!」と称賛したりしますが、それは多くの場合、悟りには至っていません。ものすごく技術が高いだけです。
悟った人は、その道の第一人者を辞めていたりします。
「真の悟り」とは13色すべてで達観すること
真に悟った人というのは、13色すべてで達観した人のことです。
ロイヤルブルー的な悟りに達した人は、寺籠り、修験者などの中に少々いたりします。しかしただ質素に無欲に暮らしているだけでは、真に悟ったわけではありません。
知性において達観しているわけではなさそうですし、芸術でも、恋愛でも、達観してはいないでしょう。
仏教や東洋思想は、決して悪いことではないですが、それだけを師事していてもロイヤルブルー的な達観にしか至れそうにありません。