向上心は素晴らしい。完璧主義はよくない。
- acousticlife111
- 2024年2月10日
- 読了時間: 4分
人生は何かと、適度なバランスをとることが難しいです。
「怠惰に生きたいなんて思わない」という真面目な人も、逆に頑張りすぎて燃え尽きてしまったりトラブルを起こしてしまったり、するでしょうか。
向上人を持つことは大切
「向上心」というのはとても大切なことです。
色々な意味で、人生はちょくちょく何かを頑張っていたほうがよいです。
血がにじむような受験勉強なんてしなくてもよいですが、でも、「受験勉強に匹敵するくらいしんどい努力」みたいなことを、芸術やスポーツ、特殊技能の修練などでは行ったほうがよいでしょう。
それは手に職を得るためだけではなく、人生にハリをもたらしたり、自分に自信をつけたり、恋愛的魅力を上げてくれたりします。
たとえば絵画で「一流だね!」と言われるくらいになったとしても、ずーっと絵を描いて生きるのではなく、「ダンスも上手になるまで頑張る!」などと新たな目標を持つとよいです。
ちなみに、「保守的だな」と自覚している人は、向上心も薄い傾向があります。
でも完璧主義は良くない!
「向上心」は良いことです。
しかし、「完璧主義」はあまり良くないと言えます。
完璧主義のリスクはたくさんあるのですが、この記事の主題としては「病まないように気を付けて!」ということです。
何かの練習において「100点まで極めたい!」と根詰めると、非常に苦しい思いをすると思います。
そこまで苦しむ必要があるのでしょうか?ないはずです。
また、身体的な事情(指が短い、など)によって限界を感じたときに、「100点に達せないなんて、絶望的だ!」と苦悩して、死にたくなってしまうことすらあるでしょう。
「何も努力してこなかったからアルバイトすら見つけられず絶望」ならわかります。しかし、「超上手いのに絶望して人生が嫌になる」というのは、あまりにもかわいそうです!
どうか冷静になってください。
95点の技術でも、いや、90点や85点の技術でも、別に大きく困りはしないはずです。
生きていけるはずですし、あなたを褒めてくれる人は大勢いるはずです。
仕事で必要?でも本当に必要?
「いいや仕事のために必要だから、完璧を目指して頑張らなければならないんだよ!」と反論する人がいるでしょう。
でもおそらく、「死にたい」と絶望するほど追いつめられる必要はないはずです。
ランクを下げれば済むはずです。
たとえば、プロスポーツ選手には、「メジャーリーグに昇格できない!もう絶望だ!」などとウツになったり死にたくなったりする人がいるかもしれません。が、「メジャーリーグで活躍することにこだわらない」と意識を変えたなら、別に成長が止まっても絶望すべき状況ではないはずです。
日本のリーグならプロ活動も出来るかもしれません。
プロで通用しないとしても、草野球をして生きることはとても楽しいかもしれません。
スポーツだけでなく、芸術や特殊技術、勉学などにも同じことが言えそうです。
指導者がそれを強要してくるなら、その指導者から離れたほうが良いです。
飽くなき向上心は、自分に自信を持ってから行うとよい
すでに一流と言われているのに限界を目指して頑張るのもよいです。でもそれは、自分に自信を持ってから行うとよいです。
「現状の実力のままでも、満足はしている」「現状の実力に満足していないが、自分をトータルで見ればそれなりに立派な人間だと思う」そんなふうに、すでに自分に不満や嫌悪のない状態なら、さらなる向上心を持って取り組むのもよいでしょう。病まずに済むからです。
メンタルの強い人もいるのです
際限ない向上に向く、メンタルの強い人もいるのです。
ライバルたちが限界を突破したときに、「よし俺も追いつき追い越すぞ!」ということを、あまり重圧や苦悩を感じずに取り組める人もいます。
そういう人は、完璧主義的に何かに取り組むのもよいでしょう。
クラシック音楽をたしなむ人は気を付けて!
ピアノや吹奏楽、弦楽器などクラシック音楽をたしなむ人は、完璧主義で苦悩してしまっている人が多いです。プロに進んでいなくても、アマチュアの世界にも多いです。
「リストが弾けるようにならなきゃだめだ!」などと自分を追い込む必要はないです。
速弾きでライバルに勝てないとき、とても悔しいかもしれませんが、冷静に俯瞰すると「大した問題じゃないな」とわかるはずです。
速弾きで一番になれなくたって、無数の音楽が楽しめます!
速弾きにこだわらないほうが、音楽の神髄に気づけます(笑)